上大岡①

2014年6月11日

とある居酒屋で、上大岡の再開発の話が話題になっていました。

上大岡で開業してからもうすぐ6年経ちますが、駅についてはあまり知らなかったように思いますので、インターネットで調べてみました。

はまれぽcomより抜粋

ご存知の通り、日本一人口の多い市として知られる横浜。
玄関口である巨大な横浜駅から、新しい横浜の顔・みなとみらい地区、さらには開港当時からの中心地である関内辺りが、全体の中心だということは誰でも知っている。


ましてや国内有数の大都市となれば、大きく栄える地域だってひとつやふたつではない。
横浜駅から関内周辺を“都心”とすれば、その周りには“副都心”とされる地域もできてくるわけだ。

キニナルによれば、上大岡もそのひとつ。
とは言え、確かにそこまで大きな駅というわけでもない。いったいなぜ、上大岡が副都心に選ばれたのだろうか。

現在の上大岡駅って……

上大岡駅は、京浜急行と市営地下鉄ブルーラインが通る駅。
駅ビルは「ゆめおおおか」と呼ばれ、京急百貨店のほか、ウィング上大岡やオフィスタワーが設置されている。
駅を出て、鎌倉街道をはさんだ向こう側には「camio(カミオ)」と「mioka(ミオカ)」があり、家電量販店や映画館が利用できる。
 でも、駅から少し歩き、大岡川を渡った先は昔からの住宅街になっていて、都会という印象はまったく受けない。
駅前のごくごくせまい範囲だけが、“副都心”と言われても納得できるにぎわい方をしている街なのだ。

また、キニナルの通り、港南区役所があるのはひとつ隣の港南中央駅。
その辺りも、一般にイメージする“副都心”とはちょっと違うような感じがする。

上大岡が選ばれたのは

さてさて、そんな上大岡がどうして副都心に選ばれたのか。
市庁舎を訪れ、都市整備局市街地整備推進課のみなさんにお話をうかがった。


そもそも、副都心とはどういう場所を目指して設定されていたんだろうか。

横浜市では、横浜駅と関内方面に加え、新幹線の停まる新横浜も“都心”と定義している。これらは言わば商業や業務の中心地ということになる。
それらを補完する形で「生活圏としての拠点という概念で設定されたのが副都心」と古屋さんは話す。
住宅街があって、駅前に行けば必要なものが揃うような街。それが副都心の目指した形だったというわけだ。

そのため、「市域や区域を基準にするのではなく、鉄道や道路のネットワークを中心に」考慮されたんだそうだ。

上大岡で言うと、京急は昭和5年から走っていたし、ブルーラインも昭和47年に開通、昭和51年には横浜まで延伸している。また、駅前を鎌倉街道が通っていることも大きな要素だったと言える。

さらに上大岡では、横浜のスカーフで知られる大岡川を利用した捺染(なっせん)と呼ばれる染物業が盛んだった。
そのため工場が多く、かつ需要が減ってきていたこともあり、工場移転で土地の確保が比較的しやすかったこともあった、と古屋さん。

そういった理由から、1981(昭和56)年に発表された「よこはま21世紀プラン」において副都心に指定された上大岡は、駅ビルを皮切りに、camio、miokaと再開発が進み、現在のような駅前になっているわけだ。
ちなみに、camioとmiokaにはさまれたアーケード街が次の再開発の対象になるそうだ。

 

なるほど、副都心については、よくわかりました。

しかし、上大岡の再開発については、なかなか厳しい意見もあるようですので、次回に。

 

今朝の走行距離8.53km 消費カロりー596kcal